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デザインのちから!

椅子等の実用品のデザインの著作物性の研究6

 著作権法では、「美術」について、純粋美術と応用美術と分けて考える傾向にあります(歴史的・国際的等の理由によりますが、ここでは深く掘り下げません)。そして純粋美術については、美術の著作物(著作権法10条1項4号)に該当し、著作物性について、原則として問題となることはありません。また応用美術のうち、「美術工芸品」も、2条2項の規定がありますから、同号の「美術の著作物」として処理されます。


<ブログ筆者まとめ>

・純粋美術→「美術の著作物」に当然該当。

・応用美術→「美術工芸品」に該当すれば2条2項経由で10条1項4号「美術の著作物」として保護。

      →「美術工芸品」に該当しない場合は、2条2項を経由せず、直接 同号の問題へ。


 研究1乃至3で取り上げた椅子の裁判例では、「応用美術」を、『実用に供され,あるいは産業上の利用を目的とする表現物』と定義したうえで、『応用美術については,著作権法上,明文の規定が存在しない」が、「著作権法が,「文化的所産の公正な利用に留意しつつ,著作者等の権利の保護を図り,もって文化の発展に寄与することを目的と」していること(同法1条)に鑑みると,表現物につき,実用に供されること又は産業上の利用を目的とすることをもって,直ちに著作物性を一律に否定することは,相当ではない。』とまず大前提の話をしています。その後、応用美術のうち「美術工芸品」について2条2項に規定があるがこれは「美術の著作物」の「例示」に過ぎないと述べています。そして、例示に係る「美術工芸品」に該当しない応用美術であっても,同条1項1号所定の著作物性の要件を充たすものについては,「美術の著作物」として,同法上保護されるものと解すべき』とされました。


 なお、美術工芸品については、『同法10条1項4号の規定内容に鑑みると,「美術工芸品」は,同号の掲げる「絵画,版画,彫刻」と同様に,主として鑑賞を目的とする工芸品を指すものと解される』と判断し、かつ、 『控訴人製品は,幼児用椅子であるから,第一義的には,実用に供されることを目的とするもの』なので、『「美術工芸品」に該当しない』と言い切った上で、『「美術の著作物」として著作権法上保護され得るかが問題となる』としています。 


 ブログ筆者としては、椅子等の実用品のデザインの近現代の歴史を見るに、実用性という制約を乗り越えつつ、実用的形態と独自な形態を統合した新たな創作的価値あるデザインが多数あると考えるので、上記裁判所の見解について、感覚的には、当たり前のように感じますが、著作権法の歴史としては、単純ではないようです。


 つまり、従来『著作権法二条二項を特別規定と解しつつ、

①右「美術工芸品」の概念を拡大し、それには量産されて産業上利用されることを目的として製作され、現に量産された」ものを含まれると解釈し、同概念の下に現実には他の応用美術一般の保護を図るもの(長崎地佐世保支決昭和4四八・二・七...省略)、および、

②タイプフェイスに係るもので、必ずしも応用美術一般の先例とするに乏しいと思われるが、「美術工芸品」の概念を前述のごとく通常の意味に解釈し、その他の応用美術の著作権法上の保護を否定するもの(東京地判昭和五四・三・九...省略)とに分かれていた(紋谷暢男教授の解説「文様および形状―仏壇彫刻事件」別冊ジュリ著作権判例百選第三版」有斐閣22-23頁)(以下「百選第三版(紋谷)」)』とのことです。


 そこで、今回は、『著作権法二条二項を注意的規定と解し、「美術工芸品」を通常の意味で解釈し、かつ応用美術中、「そこに表現された美的表象を美術的に鑑賞することに主目的があるものについては、純粋美術と同様に評価して、」、これに著作権法上の保護を認めている。初めての裁判例であり、その後の判決も・・・これを踏襲している点で判例上の意義は大きい。(「百選(紋谷)」)』と評価される以下の裁判例を観て行こうと思います。

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仏壇彫刻事件

神戸地裁姫路支部昭和54年7月9日   昭和49(ワ)291 


 本件は、原告の仏壇部品を構成する紋様および形状を有する彫刻は、原告が本件彫刻(原型・木彫)からシリコンゴムで型枠をとり、その中にポリエステル樹脂(プラスチツクの一種)を注入して製作され大量生産できるもので、かかる仏壇に施される彫刻の著作物性(その要件である創作性及び美術性)について争いとなった事案です。以下著作物性の判断を中心に観ていきます。


本件彫刻の創作性について


裁判所が認定した事実(ブログ筆者簡略化)

・中学卒業と同時に彫刻師の従弟となり数年間仏壇を含む各種彫刻の製作につき修業。

・独立後、仏壇彫刻の製作・研究を行い、従来仏壇彫刻は手彫り(木彫)で製作されていたが、将来大量生産の可能なプラスチツク製仏壇彫刻が普及すると予想し、昭和三〇年代の後半から木彫りとかわらない状態に仕上げることのできるプラスチツク製仏壇彫刻の製作の研究に取り掛った。

・昭和四四年頃、本件彫刻(原型・木彫)を完成し、以来、そのプラスチツク製品を、上記原型からシリコンゴムで型枠をとり、その中にポリエステル樹脂(プラスチツクの一種)を注入する方法により大量生産が可能となり市販するようになった。

・原告は、右原型の考案に際しては、多年に亘り、多くの古文書および古典仏壇彫刻を網羅し参考としつつ、仏壇彫刻師としての美的感覚と技法を駆使し、既製仏壇を模写することなく特異の美的表象を創案すべく、殊に型枠使用による大量生産にも適合するように配慮しながら、右彫刻の紋様を立体的、写実的に精巧かつ端麗な表現を表象するよう、独自の執刀方法で描くことに苦心したすえ、独自の創意による本件彫刻(原型)を完成した。

・上記認定に反する証拠はない。


当裁判所は、以上の認定事実に『本件彫刻の形状・構成をあわせ考えると、本件彫刻は原告が長年の研究の成果として独自の着想により仏教美術の一部に属する仏壇装飾につき感情を創作的に表現したものと認めることができる』としました。


 『仏壇彫刻の紋様は古来より特定のものに限局され、永年にわたりこれを模写してきたものにすぎず、製作者により殊更創作的に表現されうるものではない』との被告の主張に対し、『仏壇彫刻の文様は、既に室町桃山時代から特定の紋様に限局され、本件彫刻の紋様も当時既に存在していたことが認められ(これに反する証拠はない)、また、原告が本件彫刻の完成につき古文書および古典仏壇彫刻を研究しこれを参考にした』と認めつつ、『著作物の創作性は当該著作物が著作者の独自の創意工夫により著作されたか否かにあり、その表現形式等において先人の影響が存したからといつて直ちにこれを否定されるべきではなく、具体的著作物がその模写ではなくそこに知的創造活動が認められるときは、その著作物に創作性を肯定すべきものと解するのが相当である(したがつて、著作権における創作性は相対的なものであり、工業所有権における創作性の如く新規性すなわち絶対的な独創性を要しないといわねばならない)』と判断しました。


すなわち『本件彫刻は、原告がその独自の創意工夫により完成したものであり、その表現形式も独特の着想に基づくこと、前段所述のとおりであつて(これに反する、右彫刻に何らの特異性も認められないという証人B、同Aの証言は、これを裏付けるに足る適確な補強証拠がないのでにわかに措置できない)、また、被告が本件彫刻の完成前からあつた仏壇彫刻と主張する乙第一ないし第三号証も、本件彫刻と対照するに、これと類似するものではない』し、『他に本件彫刻が先人の模写に留まるものとする確証は存在しない』とされ、『本件彫刻は原告の独創に基づく』と判断しました。


本件彫刻の美術性について


 『本件彫刻が、仏壇内部の装飾につき美的表現を目的とした美術に関する著作であることは、前判示のとおりである』とした上、以下のような一般論が示されました。


『一般に、美術は、

(1)個別に製作された絵画・版画・彫刻の如く、思想または感情が表現されていて、それ自体の鑑賞を目的とし、実用性を有しない純粋美術と、

(2)実用品に美術あるいは美術上の感覚・技法を応用した応用美術に分かれ、

 後者すなわち応用美術はさらに、

     (イ)純粋美術として製作されたものをそのまま実用品に利用する場合、

     (ロ)既成の純粋美術の技法を一品製作に応用する場合(美術工芸品)、

および、(ハ)右純粋美術に見られる感覚あるいは技法を画一的に大量生産される

    実用品の製作に応用する場合等に細分されていることは周知のところである。』

 

そして上記に照らし、


『本件彫刻は、前判示のとおり、原型たる木彫そのものを一品として鑑賞するものではなく、原型に合わせて型枠をシリコンゴムで作り、これにプラスチツクを注入して同型のものを大量に製作し、これを仏壇の装飾に利用することを目的としているものであるから、前記応用美術のうち(ハ)の部類に属する』と判断しました。

 

そして


『応用美術をどこまで著作権法の保護対象となすべきかは意匠法等工業所有権制度との関係で困難な問題が存すること周知のところであるが、著作権を意匠権を対比してみると、等しく視覚を通じた美感を対象とする作品であつても、

著作権の対象とされると、何らの登録手続や登録料の納付を要せずして当然に著作権が成立し、かつ、著作者の死後五〇年間右権利の存続が認められるのに対し、意匠権にあつては、設定登録によつて初めて発生し、登録料の支払を要し、その存続期間も設定登録の日から一五年間に限られており、両者の保護の程度は著しく相異していること(なお、意匠権以外の工業所有権にあつては、その実施義務が課されている)、

および、産業上利用を目的とする創作は総じて意匠法等工業所有権制度の保護対象としていること等を勘案すると、


応用美術であつても、本来産業上の利用を目的として創作され、かつ、その内容および構成上図案またはデザイン等と同様に物品と一体化して評価され、そのものだけ独立して美的鑑賞の対象となしがたいものは、当然意匠法等により保護をはかるべく、著作権を付与さるべきではないが、

これに対し、実用品に利用されていても、そこに表現された美的表象を美術的に鑑賞することに主目的があるものについては、純粋美術と同様に評価して、これに著作権を付与するのが相当であると解すべく、


換言すれば、視覚を通じた美感の表象のうち、高度の美的表現を目的とするもののみ著作権法の保護の対象とされ、その余のものは意匠法(場合によつては実用新案法等)の保護の対象とされると解することが制度相互の調整および公平の原則にてらして相当であるというべく、

したがつて、著作権法二条二項は、右の観点に立脚し、高度の美的表現を目的とする美術工芸品にも著作権が付与されるという当然のことを注意的に規定しているものと解される。


 そうだとすると、図案・デザイン等は原則として意匠法等の保護の対象とのみなることは勿論のこと、工業上画一的に生産される量産品の模型あるいは実用品の模様として利用されることを企図して製作された応用美術作品も原則的に専ら意匠法等の保護の対象になるわけであるが、右作品が同時に形状・内容および構成などにてらし純粋美術に該当すると認めうる高度の美的表現を具有しているときは美術の著作物として著作権法の保護の対象となりうる』と判示しました。



 さらに、当裁判所は、『本件彫刻は仏壇の装飾に関するものであるが、表現された紋様・形状は、仏教美術上の彫刻の一端を窺わせ、単なる仏壇の付加物ないしは慣行的な添物というものではなく、それ自体美的鑑賞の対象とするに値するのみならず、前判示の如く、彫刻に立体観・写実観をもたせるべく独自の技法を案出駆使し、精巧かつ端整に作品を完成し、誰がみても、仏教美術的色彩を背景とした、それ自体で美的鑑賞の対象たりうる彫刻であると観察することができるものであり、その対象・構成・着想等から、専ら美的表現を目的とする純粋美術と同じ高度の美的表象であると評価しうるから、本件彫刻は著作権法の保護の対象たる美術の著作物である』と結論づけました。


 ブログ筆者:要するに、美術工芸品を除く応用美術については規定がないが、本件のように、製造方法に工業上の利用可能性が認められるとしても、結果物に「高度の美的表現」が看取できれば著作物性は認められるということかと思います。しかし結局、意匠法を意識して、〝実用性〟と分離可能な「それ自体美的観賞の対象となり得る」というのが、「高度の美的表現」の内容となるのだと思います。

 

 紋谷先生は、『「それ自体で」物品の実用面から分離して認識でき、かつ独立して「美的観賞の対象たりうる彫刻」であることから、「著作権法の保護の対象たる美術の著作物である」と判断している』ことは、『正当である』と評価しておられ、アメリカ著作権法101条参照と記載されています(「百選第三版(紋谷)」)。


 ブログ筆者:米国著作権法101条では「絵画、図形および彫刻の著作物」は、平面的および立体的な純粋美術、グラフィック・アート、応用美術、写真、版画、美術複製、地図、地球儀、海図、図表、模型および技術図面(建築計画図を含む)を含む。絵画、図形および彫刻の著作物は、構造的または実用的側面ではなく、形状に関する限り、美術工芸の著作物を含む。本条に定義する実用品のデザインは、当該物品の実用面と別個に識別することができ、かつ、独立して存在しうる絵画、図形または彫刻の特徴を有する場合にのみ、その限度において絵画、図形または彫刻の著作物として扱われる。」と規定されています。(参考:著作権情報センターHP) 


 ブログ筆者としては、デザインの歴史を調べると、「デザイン」の用語の成り立ちが、ヨーロッパと、アメリカでは違うような気がします。どちらかという前者は産業革命以後、新たに出てきた材料や工業技術を利用し(一部否定しつつ)、どうやって生活に美を復権させるかというところで育ってきた概念であるのに対し、後者は、商業主義的発想から、どうやったら売れるか、という発想で出てきた概念(余りにザックリすぎますが)という感じがしています。必ずしも法律とこれらが連動するものではないですが、米国著作権法だけを参考にするのは危険なような気がします。ブログ筆者としては、海外著作権法を網羅するチカラはなないので、今後、他の学者さんの研究をあたってみることにしましょう。

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