すなわち『意匠法は、登録意匠の存続期間満了後はパブリック・ドメインとすることに積極的な意義を与えているが、著作権法との重複適用を認めると存続期間を短く定めた意匠法の趣旨が没却されることになる』し、『重複適用を認めると、事実上意匠権に人格権を認めたのに近い状況が生ずるし、また経済財としての利便性が失われる可能性がある』等の支障があり、
『従って、両者の棲み分けをどのように考えるのかという体系的な判断が不可避であり』、『著作権法と意匠法とのいずれによるかは、両法の相違、すなわち人格権、保護期間、審査の有無、公示・登録の有無、保護範囲を始めとする効果の違い等を考慮して、どのような保護制度が最も好ましいかという問題に帰着する』(『』内、中山信弘著「著作権法」有斐閣(2010年初版第6刷)141-142頁(以下単に中山+頁数)ということになります。
そして、そのような『両者の棲み分け』については、『応用美術の著作物性の判断において、判例には「専ら美を追求して制作されたか」、「高度の美的表象か」等の言葉を用いて、純粋美術の場合よりも高いレベルの芸術性を要求しているとも読めるものも多]』(中山144)』いが、これに対し、『要するに純粋美術と同視しうるものか否かを問題としているだけであり、このことは応用美術に特別な要件を加重することに意味があるのではなく、意匠法との境界を画するという点において意味を有すると解すべきである。つまり「専ら美を追求して制作された」「高度の美的表象」等々の要件を満たしたもののみが純粋美術と同じスキームでの保護を受け、それ以外の応用美術は意匠法のスキームで保護すべきである、という意味と考えるべきである。(中山144)」と説明されています。(太字ブログ筆者)
『理念的に言えば、純粋美術は何らかの制約を受けることなく美を表現するために創作されるのに対して、応用美術は実用目的という制約、あるいは産業上の利用の目的という制約を受けつつ創作される。
その相違から、応用美術につていは、制作・流通の実情を考慮して意匠法的に保護するというのが創作法の基本的な考え方である。そうであるならば、このような応用目的が存してもなお著作権法の保護を受けるに足るプラスαがある応用美術に限り著作物として認知すべきであり、それが判例上述べられている「高度に美的な」、「専ら美を追求し」あるいは「観賞の対象として」等の要件となって現れていると考えるべきである。(中山145-146)』(太字・改行ブログ筆者)
『ただこの場合、裁判所は芸術的価値そのものを判断することはできなし、すべきでもない。ここでいうプラスαとは、著作者人格権、翻案権・貸与権等の支分権、長い保護期間等を認めることにより利用・流通の妨げとなってもなお著作権法を適用する必要性が高い場合と解すべきであろう。(中山146)』(太字ブログ筆者)
但し、中山先生も『純粋美術と同視できる場合の基準が問題となるが、どのような学説をとるにせよ、多かれ少なかれその基準は不明確であり、判例の蓄積を待つ以外に方法はない。』としています(中山146)。
確かに事案に応じて個別に判断するしかないのだと思います。その点で、本ブログ研究1乃至3で取り上げた裁判例は蓄積の第一歩と言えそうです。そして本裁判例で、特徴的部分(当裁判所の判断中は「形態的特徴」)の認定が詳細に行われていることが重要であるように思います。また、当裁判所の判断中、不正競争防止法上混同を生じるとされた他者の椅子のデザインに対し、控訴人椅子のデザインに係る著作権の効力が及ばないとした点も注目に値します。意匠法における特徴的部分(要部)の認定手法を含む類否判断とどう違うのか、共通するのか等々、不正競争防止法と異なり、意匠法も著作権法も創作法という点では同じですし、この点も加味して今後検討されていくことなのだろうと思います。
ところで、
この「特徴的部分(形態的特徴)」の認定ですが、意匠法には、「類似」の概念があり、その類否判断において、特徴的部分(要部)を認定して、共通する部分が要部に係る場合は全体として類似とされる傾向にあります。しかし、著作権の場合は、そのような条文はなく、どこを根拠に「特徴的部分(形態的特徴)」の認定を行う必要があったのでしょうか?
「著作権」と一言でいっても、支分権、いわば権利の束によって成り立ちます。今回は複製権が問題となったものと考えます。複製とは、高林先生の定義を借りるなら『「既存の著作物の素材とその表現内容を認識したうえで」、「その創作的な表現部分」「と同一のもの」をまたは「修正、増減、変更等が加えられているが」「その過程に創作性が認められず」、「表現上の本質的な特徴の同一性が維持されており」かつ「これに接する者が既存の著作物の表現上の本質的特徴を直接感得することができるもの」を「作成しようと意図して」「有形的」に作成する」こと」』です(高林龍著「標準著作権法」有斐閣80頁 以下「高林+頁数」)。
そして、『ある作品の全体が複製されている場合であるならば、複製された対象が創作性のある部分であるか否かを訴訟で探索することは、差止めや廃棄を認める範囲や損害額の認定においては重要であるが、権利侵害(複製権侵害)の有無を認定する場合には問題にする必要はないといえよう。しかし、作品全体ではなく部分的に複製された場合や、権利者がある作品の一部分の権利侵害(複製権侵害)を主張したような場合には、複製されたと主張されている部分が創作性の認められる表現部分であるか否かを探索する必要が生ずることになる(高林75)』ということになります。(太字ブログ筆者)
結局、「応用目的が存してもなお著作権法の保護を受けるに足るプラスα。(中山145-146)」の見極めとは、この「特徴的部分(形態的特徴)」の特定に他ならないように思います。その特定をしたうえで、総合的に観て条文上定義のある「創作性」を導き出すということになるのだろうと思います。但し、さらに創作性概念を『「思想・感情の流出物」としての個性』と解するか、『表現の選択の幅』と解するか(参考「中山65」)はさらに検討すべき課題と思います。
なお、意匠法との関係で、以下ブログ筆者私見です。
意匠法の改正で、24条2項「登録意匠とそれ以外の意匠が類似であるか否かの判断は、需要者の資格を通じて起こさせる美感に基づいて行うものとする」との規定が導入されて以来、いわゆる混同説※、すなわち、商標法1条の「産業の発達」を、需要を喚起することと解し、デザインをそのような道具と考え、意匠の類否を、需要者が両物品を混同するか否かに求める説を採用したように思えます。
ブログ筆者としては、改正で同項が導入するまで、いわゆる創作説※、創作価値(美的価値)が宿る特徴的部分を、意匠の類否においては積極的に公知意匠を参酌して特定して、その特徴的部分が共通するか否かで決するとの説に立っていたのですが、意匠法が混同説をとるのであれば、著作権法で実用品の創作的価値(特徴的部分又は個性が表れているところ)を積極的に認定して、著作物性を認めてもよいように思うに至っています。 (※「混同説」、「創作説」の解釈は、学者・実務家によって大きく又は微妙に言っていることが異なりますので、ここは、ブログ筆者の解釈です。)
ブログ筆者の考えでは、意匠法の法目的を、需要を喚起するためと解すればするほど、他方で需要者に媚びないような、デザイナーの個性というものが発揮されたデザインには、著作権を認めるべきと考えます。それが実用性を重視した機能美であっても、人々の社会や生活に浸透し、文化を形成するような製品のデザインについては、著作権を認めてもよいように思います。そこに登場する人々は、需要者とか、消費者といわれる人々ではなく、生活者であり、文化人であり、デザインを愛する人、といった類の人になってくると思うのです。